おいらの田んぼ』は 海 だった!



    写真の中央が昭和43年に国営干拓事業として宮城県が代行して干拓した水田です。
             (
青印の部分が私の家の田んぼです)
      赤印のところは私の曾祖父である澁谷甚之丞が明治33年と大正4年に
              埋立の許可をうけ埋め立てた田んぼです。



私の住んでいるところは、「日本三景松島」の中でも古くから半農半漁の生活を営んでいる人が多くいますが、
最近は時代の流れとともに少しずつ街並みも変わりつつあります。
それでも、街の東側には松島湾の一部を干拓して造られた水田地帯が広がり、先人の苦労もあって
今では古くからある田んぼよりもさらにおいしいお米ができるようになりました。
また、干拓するために造られた全長480メートルの堤防は、海浜公園として整備され潮干狩りやいも煮会など、
住民のレクリェーションの場として親しまれています。
私の家の田んぼは、この干拓地の田んぼの他に明治33年と大正4年に私の曾祖父である澁谷甚之丞が自分で
当時松島湾の小さな入り江であったところを役所の許可を受けて埋め立てした田んぼの2か所にあり、
この埋め立てた田んぼも今では干拓地の田んぼと共に毎年おいしいお米を実らせています。

日本全国のどこにでもいるような小さな農家ですが、本場、宮城のササニシキとひとめぼれと一緒に
ハラハラ、ドキドキの日々の米づくりの様子や四季折々の話題などもお届けしながら、
お米の産直を通じてたくさんの皆さまとお付き合いをして行きたいと思っています。